No.6 地図帳に夢をのせて。

藤崎敬太 / Menu

 

 

 

――まず初めに、旅に出たキッカケは何ですか?

 

 二つあります。1つが3.11の大震災、もう1つが小学校の頃からの夢だったということです。

 まず3.11。当時、自分はちょうど就活をしていて、震災が起こったときに『あ、これはいつ死ぬか分からないな』と、とても感じたんです。それから、自分の死を目の前にして、何をやりたいのだろうと思い、人生でやりたいリストというのを作りました。そして、その人生でやりたいリストに書いた中で一番初めに出てきたのが、世界一周で、世界中とにかく周ってみたいというのが、自分の中で好奇心としてありました。

 もう一つに小学校からの夢というのは、小学校5,6年生の担任の先生の影響が大きかったんです。その先生は昔、パナマに3年間くらい駐在していて、凄く国際感覚が豊かでした。その人の社会科の授業が印象的で、色んな都市や国の背景なども話してくれていたので、世界中を旅したいというのはそのころからちょっと思っていて、作文の中にも大学生になったらリュックサック一つで世界中旅したいというのをちょうど書いていたので、それが夢だったというのがあります。

 

――では大学生のときにパッと思い立ってという訳ではなく、中学校、高校といったときにも心の片隅には世界中旅したいという気持ちがあったんですね!

 

 そうですね、片隅にはありました。純粋にバックパッカーや、たった一人で重たい荷物を持って色々な困難を乗り越えながら旅していくのがカッコイイなととても憧れていて、自分もせっかくだから大学生になったら、そういうことをしてみたいという気持ちはちょっとありました。

 

 

――意志がすごいです…世界一周で色んな国を周ったと思うんですが、一番印象に残った国ってどちらでしたか?

 

 インドです。まだ1ヶ国目だったんですが(笑)

――(笑)

  具体的にインドのどのようなところが印象に残りましたか?

 

 物乞いやカースト制度ですね。インドは経済大国と言われている中で、盛り上がっているのかと思いきや、確かに人が多いけれども、貧しい人は本当に貧しいんです。一旦カースト制度で、オフィスの机を拭くっていうことが決められたら、その家庭で生まれた人は、もう一生その仕事。そこで来る物乞いの人たちが、とても衝撃的でした。日本にいるときは些細なことでイライラしていましたが、幸せの基準って、日本では高すぎて、向こうの人たちは生きているだけで幸せなのだと感じました。

 

 

――旅に出る前と旅から日本に帰ってきて、意識的、行動的に変わったと感じられることはありますか?

 

 まず、身近な些細なことで幸せを感じるようになったこと。もう生きていて楽しいって思うようになって(笑) インドやインディヘナの人たちは貧しいんですが笑顔で楽しく暮らしています。そんな様子を見たのもあるし、純粋に日本に帰ってきて嬉しかったのが、日本食をとにかく食べられることでした。あれが本当に嬉しくて、もう吉野家の牛丼食べて泣いて・・・みたいな感じだったんです(笑)

 今までは、お金を持っていたり、ファッションを気にしたりだとか、お金ありきだと思っていましたが、帰ってきて、『意外と幸せとか喜びって、お金だけじゃないのか』と思って。とても幸せの基準が身近になって、生きていて楽しいと感じるようになりました。

 次に、自分の人生の主役は自分だと分かりました。行く前までは、世界一周なんて無理だよと、止められていました。でも、実際にやってみるとやっぱり物凄く楽しくて、毎日が刺激的で、色んな文化に触れて、人との出会いがあって。それで『あ、自分が一歩行動に移せば、自分の行動が自分に跳ね返ってくる』と分かりました。

 また、旅の様子をFacebook,Twitterで呟いたら、後輩の子達が『僕もそんな旅に出てみたい』と言ってくれるのが凄く嬉しかったんです。それで自分の行動一つで、意外と自分のためにやったことが、結果的に周りのためになるのかと分かりましたし、自分が何をしたいのかとかという考えを大事にしていく必要があるなと感じました。

 

――藤崎さんは現在、自分の世界一周をブログに書かれていますが、ブログを発信する自分の中の意義とはどういったものですか?

 

 まずこの体験を自分自身の中で、消化しておきたいというのが一つ。もう一つが、僕より若い世代にもっとこの経験を発信して、彼らに旅に出てもらいたいというのがあります。

 一つ目について、本当は旅中にも書けたことには書けたんですが、現地でのふれあいを大事にしたかったので、現地ではそっちを優先して、帰ってからあのときのことをふと思い出しながら書いて消化して、4月から社会人になりたいというのがありました。

 もう一つに、若者同士でシェアしたいということがあります。旅中も色んな同世代以外の人たちとも会うんですが、そこで『君珍しいね』って言われるんです。なぜかというと、今の若い世代っていうのはそこまで旅に出たりしないと。どちらかというと...男!女の子のほうが割りと海外に出たり、旅行も好きですし、国外に出ることが多い。それがとても勿体無いなと思てしまって・・・

 間違いなくこれからグローバル化というのは確実に進んでいって、外国人とコミュニケーションをとるのが普通の時代になってきます。その中で大事なのは、英語が出来る、出来ないではなくて、彼らに対してビビらないだとか、多用な文化の価値観を受け入れるということかなと思います。そういうことを経験しておくと、僕が言うのもなんですけど、後々になって色んなときに生きていくと思うんです。それを若い世代に伝えていくのが、僕にとっての使命なのかなと思って書いています。

 

 

――なるほど。これからも更新を頑張ってください、楽しみにしています!では・・・ハプニングなどはありましたか?

 

 一番大きかったのはやっぱりボリビアに着いたのにウユニ塩湖に行けなかったことです。

 ブログにも細かく書いたんですが、現地に仲良くなった日本人5人と一緒にウユニ塩湖に行こうとしたんです。...それが、ちょっと格安のバス会社に申し込んでしまって...夜行バスに乗っていこうとしたら、なんかデモが起こっていると(笑)それでバスの出発時間が4時間ぐらい遅れて出発したんです。そのままバスでウユニに向かい、途中で村に差し掛かったときに、そこでもストップしてしまって...またデモという。

 

――(笑)

 

 それで村が封鎖されていると。しょうがないからということで、運転手が迂回して、もうちょっと道の悪いところを行くことになったんですが、今度は全く何も無い荒野のところで、車が土の中にスタックしてしまったんです。まぁそれは笑えたんですが、そのスタックした車を土から出そうとしたら、フロントガラスがバリーンと割れて、フランス人の女性が大怪我してしまったんです。その怪我している人はラパスに戻らなければいけなくなって。

 そのとき僕自身もすごく迷っていました。というのも、このあとイースター島行きのチケットの日にちが迫っていたんです。正直、ギリギリの期間での旅でしたから。ウユニとイースター島で迷ったんですが、やっぱりイースター島に行きたいと思い、その女性と一緒にタクシーに乗ってラパスに帰ったという悔しい思いをしました。

――他の場所でも多分色んな日本人に会われたと思うのですが、海外での日本人との交流は自分にどう影響していましたか?

 

 相当大きかったです。世界遺産を見ることや、町並みを見ることよりも、僕自身の旅で一番良かったのはそのような人との出会いでした。なかなか日本にいては会えないような強い人たちと出会い、海外で働いている人たちを見て、逞しいなとか、強いなとか、自分にも出来ないかなと思ったり、憧れであったり。こういう人たちがどんどん増えていって、外に出て日本の良さがわかって、良くないところもわかって戻ってくると、もっと多様な価値観を得られて、日本が楽しくなるんじゃないかなと思いましたし、強くなるんじゃないかなとも思いました。

 

 

――では最後に、藤崎さんにとって旅とは何か教えてください。

 

 一言で言うと、キッカケです。旅自体が。

 以前大学一年の冬にもオーストラリアを二週間ぐらいバックパックしたときがあって、そのときに自分が大学で何も打ち込んでいない、何か打ち込もうと思って、過去を振り返ってみるとボクシングがありました。どうせ打ち込むのだったら、プロテストに受かろうと。要は、そのボクシングに打ち込むキッカケを与えてくれたんです。そのおかげで一年間真剣にボクシングに打ち込んで、プロテストに合格できました。

 今回の旅で言うと、旅に行っていなければ、多様な生き方を認めてあげられなかったり、幸せの基準を考えられなかったりしたと思います。あとは旅に出ることによって、今日本の観光にどういうものが必要なのかというのが、ほんの少し見えるようになりました。僕は旅自体をただ単に放浪するというよりも、何か自分の中で新しいことに挑戦するキッカケなんだなと考えています。 旅に出て世界遺産を見ること、出会う人、食べ物、そこで感じることがキッカケとなって、自分の新しい"アクション"を生み出してくれるものなんだと思います。